日本障がい者乗馬協会の概要を紹介、障がい者乗馬の方法と効果を解説。パラリンピック情報。

障がい者乗馬について

なぜ馬なのか

現代においてはさまざまな分野で『セラピー』が行われています。その中で、とりわけ『アニマルセラピー』と呼ばれる分野において、乗馬セラピーの普及と実績が突出しているのはなぜだと思いますか?
それは、馬が人間を乗せるこができるもしくは運ぶことができる動物であるとういう1点に尽きます。犬や猫が人間を乗せるのは不可能ですし、象やラクダは身近にいません。人間を乗せて軽快に動ける動物、なおかつ従順で賢い動物は限られます。馬は単なるペットでも食料でもなく、人間の生活を支えるパートナーとして存在してきました。世界中に幾多の動物がいる中で、馬ほど人間に貢献してきた動物はいないでしょう。馬は人や荷物を運び、馬車やソリや木材を引きます。山を登り、川を渡り(時には泳ぎ)、野を駆け、田畑を耕しながら、黙々と従ってきたのです。
そして現代、馬にとって新たな活躍の場が確立されました。それが障害者乗馬という分野です。馬には、人間の体と心を癒す力も備わっているのです。

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馬は元来おだやかで人なつっこく、しかも従順な動物です。正しく接すれば、人間を拒否したり攻撃することはありません。反対に警戒心を持つと、思うように動いてくれません。これが、とても大事な点です。
常に馬に話しかけ、上手にコミュニケーションをとることが乗馬の進歩に繋がります。騎手は筋肉や戦術ではなく、意思を疎通させる術を磨かなければなりません。騎手の障害は“障壁”になりません。動くのは馬なのですから。

なぜ乗馬なのか

4年に一度だけ行われるスポーツの祭典、オリンピック。世界中からさまざまなスポーツに秀でたアスリートたちが集結します。その中にあって唯一、乗馬だけが持つ特殊性があります。それは乗馬が人間と動物が一緒になってするスポーツだということです。
表彰式でも、騎手だけでなく馬にも入賞のロゼット(リボン)が贈られます。馬は、オリンピックに出場する唯一の動物なのです。

乗馬の特殊性はそれだけに留まりません。競技時に男女を区別しないという点でも特殊です。実際、女性は決して男性に引けを取りません。オリンピックや世界選手権のような大きな大会で女性が優勝したり、好成績をおさめることは珍しくないのです。
これは、まさに乗馬というスポーツの素晴らしさを表すシステムです。乗馬では、強靭な肉体や運動能力以上に大切なスキルがあるのです。運動をするのは馬だからです。

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シドニーのパラリンピックに臨んだときに、隣の馬場で練習していたフランスチームにからかわれました。いわく「日本チームは監督やコーチよりも、選手のほうが年を取っているんだね」と。なるほど日本の3選手はいずれも50~60代。監督とコーチは40代でした。
日本チームに限らず、あるいは障害者の乗馬に限らず、熟年を迎えてなおトップクラスにいる馬術選手も少なくありません。これもまた運動するのは馬だからです。若い選手のほうが体力もあり、厳しい練習に耐えるだけのスタミナもあるでしょう。しかし乗馬は、それ以上に経験がものをいいます。馬の様子を知り、馬に意志を伝える能力を磨くことが、自由自在に馬を操ることに繋がるのです。

以上のような理由から、人々はセラピーのパートナーとしてを選び、体力や機能が十分ではない障害者の方々が乗馬に取り組み始めたのです。障害者乗馬が万能だとは言いません。しかし多くの特徴、乗馬にしか無い特徴があり、それらは多くの部分でセラピーに向いているのです。

障がい者乗馬の歴史

障がい者が馬に乗るという行為は、古代ギリシャ時代には既に実践されていました。詳しいことまでは判りませんが、「紀元前5世紀に、戦争で傷ついた兵士を馬に乗せることで治療していた」と記述された文献が見つかっています。
それから今日に至るいついかなる時代においても、馬は、単なる輸送の手段ではなく、人間の苦痛をやわらげ障害を軽減するための有効な手段として利用されてきたのです。馬に乗ることで、障害者の健康が総体的に向上することは、多くの人が認めるところです。

“Riding for Disabled”という言葉を最初に用いたのは、今世紀の初頭、英国のD.A.ハントとO.サンズという二人の人物です。ハントはオズウェストリー整形外科病院の創設者(1901年)。サンズは理学療法士で、自分の馬をオックスフォード病院へ持ち込んで、患者たちを乗せ始めました。
二人によって撒かれた乗馬療法の種は、やがて各地で芽生え、今日では世界中に浸透しています。彼らは、乗馬が多くの障がい者に希望を与えることを信じ、将来一般的に受け入れられることを願っていました。その考えが間違っていなかったということは、今や数多くの事例が証明するところです。

中でもL.ハーテルの成功は際立っています。彼女は両足麻痺というポリオ障害を克服して乗馬を続けました。そして不屈の努力と向上心によって、1952年のヘルシンキオリンピックへ出場。馬場馬術で銀メダルを獲得したのです。実はこのオリンピックから、男女が同条件で競技することになりました。ハーテルにとっては、その条件でさえなお健常者と同等ではなかったのですが、愛馬ジューベリーを駆ってすばらしい演技を見せ、世界中の賞賛を浴びたのです。
ハーテルの与えた影響は絶大でした。ノルウェーの理学療法士で、乗馬経験も豊富なH.ボッスカーは、ハーテルの快挙に障がい者乗馬の可能性を見出した一人です。彼女はさっそくコペンハーゲンの理学療法士U.ハーボスと共に自らの患者たちに乗馬を勧め、治療の一手段として活用し始めました。やがて間もなく、二人は障がい者乗馬が絶大な効果をもたらすことを実感したのです。
ボッスカーと親交のあったN.ジャックスは、同様の試みをイギリスにも定着させようと考えました。彼女はまず患者を自宅の裏庭で馬に乗せることから始め、後に障がい者乗馬信託を設立。当時の主任インストラクターを務めたJ.A.デービスは、今やこの分野の世界的権威になっています。
英国ブリストルにあるウィンフォード整形外科病院の院長S.セイウェルもその分野の第一人者です。ここは1948年に障害者乗馬の施設として公認された最初の病院です。
J.ピーコック博士は今なお熱心に障がい者乗馬に取り組んでいます。彼女はRDA(障がい者乗馬協会)の活動に関わりながら、一方ではフォーチュン乗馬療法センターの顧問委員会議長を務め、医療団体と障がい者乗馬の現場との橋渡し的な役割を果たしています。
このように障がい者乗馬は、イギリスにとどまらず、多くの国々で熱意ある人々の賛同を得てますます活発になっています。

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