大会名 北京パラリンピック
大会期間 2008年9月6日~2008年9月17日
【日本選手団】
監 督 三木 則夫(日本障害者乗馬協会)
選 手 グレードⅢ 渋谷 豊 (HAS浜松乗馬クラブ)
馬 匹 エレガンス号(Eregance)11歳
コーチ 渡部 英雄(HAS浜松乗馬クラブ)
グルーム 渡部 竜馬(HAS浜松乗馬クラブ)
【スケジュール】
9月1日 関西空港、中部国際空港から出国。香港へ!
到着後、午後5時に香港日本人学校大埔小学校の児童・先生と
面会。激励のメッセージと折馬(折鶴の馬バージョン)をいただく。
その後、初騎乗。
2日 午前:騎乗練習
午後:騎乗練習 
3日 午前:騎乗練習
午後:騎乗練習、5分間だけ本馬場での騎乗時間が与えられる。
4日 午前:騎乗練習
午後1時から香港日本人学校中学部にて講演。心のこもったメッセージ
やプレゼントと共にパワーをもらった。
夕方:騎乗練習 毎日が馴致である。
5日 午前:騎乗練習
午後:騎乗練習 急遽ウォーミングアップテストで経路走行練習
をさせてもらえる事になり、本馬場で審査もされる。
経路が覚えきれず途中棄権となったが、エレガンス号が意外に
落ち着いていたため期待が持てた。
6日 休養日
午後7時より馬術だけの開会式
              7日 午後:騎乗練習
8日 午前:騎乗練習
9日 午前:騎乗練習 やっと感覚がつかめてきた。
午後:競技 チャンピオンシップ(規定演技)
10日 休養日
クラス分けのチェックを受ける。
11日 午前:競技 フリースタイル(自由演技)
午後:FEI PARA組織委員会ジョンクイル・ソルト氏退任レセプション 
12日 12:30より香港日本人学校大埔小学校にて講演。
13日 帰国
▼手続き
まず、準備段階での提出書類の量の多さに驚かされました。普通の競技会と異なり、パラリンピックでは北京とIPCと日本の協会にそれぞれ必要な書類があるのですから無理はありませんが、それにしても大量の書類には戸惑いを覚えました。しかも、実際に私たちの手元に届いているものは全体のごく一部でしかないわけですから、膨大な量の書類を整理して私たちに届け、更にそれを取り纏めて提出して下さっている各協会の事務局の方のご苦労を思うと、本当に頭の下がる思いでした。 今回、馬術競技は出場選手1名のみでしたが、たった1名でも、それに関わって大勢の方が活動して下さっているということを、このようなことからも実感しました。
▼結団式
今回のパラリンピックでは馬術競技だけが北京ではなく香港で行われました。そのため、他競技の選手との交流という点では、東京で行われた結団式だけがそのチャンスでした。当時の福田首相をはじめ、舛添厚労相や橋本聖子議員などが激励して下さる中、各競技の選手紹介や懇親会などをしていただき、これまでほとんど知らなかったパラリンピックの代表選手たちとも、距離が一気に縮んだような気がしました。ですから、香港に居ても北京の中継を見れば親近感が湧いてきて我がことのように応援することができました。 そしていよいよ馬術競技が始まるという日には、北京からわざわざ激励にお越しいただくなど、たった4名の日本チームでしたが、気持ちは北京で戦っている皆さんとつながっているんだと感じることができ、とても勇気づけられました。
▼ルールの違い
オリンピックとは異なり、パラリンピックでは馬場馬術競技(パラ・ドレッサージ)のみが行われます。服装は、これも安全上の理由から、通常の馬場馬術競技とは異なり、燕尾服は着用禁止、そしてヘルメットの着用が義務付けられています。ちょうど、障害飛越の選手の服装とほぼ同じだと想像していただけるとわかりやすいと思います。ただし、足の不自由な選手も多いため、ブーツは特殊なものであったり、ハーフチャップスで代用していたりする場合もあります。 渋谷選手のブーツは義足としての効果もある特注品ですが、何回も試行錯誤してようやく乗りやすい形になってきたという段階のものです。障害者のスポーツにはこのような道具の改良というのは付き物で、選手はそのための費用を継続的に準備しておかなければなりません。まして、馬術競技は馬具の改良も必要です。障害が重度になればなるほど、研究された安全な道具が必要になりますから、競技に挑戦しようという人にとっては経済面のハードルの高さも無視できない点だと感じています。
▼グレード
選手は障害の程度によって5段階(グレード)に分類されます。以下に示したのは大雑把な分類のイメージです。実際は、このクラス分けには非常に細かい規定があり一概には言えませんし、この認定をするのは医学的な知識も要求される難しい作業ですから、参考程度にご覧下さい。
グレードⅠa:全身の麻痺     → 常歩
グレードⅠb:四肢体幹のうち4ヶ所に障害がある → 常歩・速歩
グレードⅡ :四肢体幹のうち3ヶ所に障害がある → 常歩・速歩
グレードⅢ :四肢体幹のうち2ヶ所に障害がある → 常歩・速歩・駈歩
グレードⅣ :四肢体幹のうち1ヶ所に障害がある → 常歩・速歩・駈歩・横歩
渋谷選手は右手、右足、右体幹に麻痺があり、グレードⅡとⅢのライン上にいるのですが、グレードⅢという登録になっています。そもそもグレードⅠとⅡは車椅子の選手の競技という概念があるため、自立歩行している渋谷選手はⅢという分類をされやすいのだと思います。
▼出場資格
パラリンピックにも、オリンピック同様に出場資格があります。アジア枠は各グレードに1名ずつ与えられており、規定演技で60%以上、かつアジアでトップの成績の選手がパラリンピックに出場することができます。 渋谷選手は2007年にイギリスで行われたFEI世界パラドレッサージ選手権に出場し、規定演技で61.4%、自由演技では64.1%をマークしてアジアトップとなり、今回の出場権を得ました。 ただしオリンピックとの違いは、選手がクォリファイしていれば馬には制限がないということです。イギリスで騎乗した馬は地元の大学生に提供していただいたレンタル馬でしたが、本番には日本から馬を連れて行って参加する予定でおりました。ところが、昨年国内で発生した馬インフルエンザの影響で日本からの輸送が認められず、一度は出場自体が危ぶまれる状況に追い込まれました。そこに助け舟を出して下さったのが香港ジョッキークラブです。所有する地元の馬を提供していただけることになったのです。馬は当然サラブレッドですから競技力という点での心配はありましたが、とにかく参加できるということが何より重要でしたので、本当にありがたいことでした。
▼エレガンス
香港に到着した時には、既にエレガンスは入厩していました。香港ジョッキークラブのドイツ人トレーナーの方が運動や世話をして下さっていたそうで、彼にはその後2日ほど、エレガンスについてのいろいろなアドバイスをいただきました。彼によると、エレガンスは、
・音に敏感で、驚きやすいので注意 ・驚くと頭を高く上げて横跳びするので注意 ・背中にやや痛みがあるため、触ったり、鞍を置いたりすると尻跳ねするので注意 ・口に敏感なので手綱が強くならないように注意 ・背に敏感なのでシートが強くならないように注意 ・脚にはやや反抗的だが、体がほぐれて馬が前に出てくれば解消できる
以上のようなことに注意する必要のある馬だということでした。 オリンピックで法華津選手の馬がスクリーンに驚くというアクシデントがあったばかりでしたから、同じ馬場で、同じ造作物の中で、果たしてこの馬が普通に競技できるのか、正直言ってとても心配になりました。しかし、この馬をお借りできなければ今回の出場はなかったわけですから、これはもう自分がこの馬にできることを精一杯やって、頑張ってもらうしかないと覚悟を決めることにしました。 幸い、香港チームと厩舎が向かい合わせになっていて、私が困っていれば助けてくれたり、相談に乗ってくれたりしましたので、たいへん心強かったです。
▼施設
会場は沙田競馬場に併設していて、厩舎地区も競馬場の厩舎を利用していました。そのため空調設備が整っていて、厩舎内が常に23℃に保たれているなど、高温多湿の香港でも非常に快適に過ごすことができました。馬房の広さも十分で、飼い桶やウォーターカップも使い易く、床と外壁にはラバーが貼ってあるなど、馬にとってストレスの少ない素晴らしい厩舎でした。 馬場は20m×60mが合計8面組まれていました。各国が交代で使用するのですが、十分な数と広さだったと思います。運動時間は朝と夕方以降に限定されていましたし、各馬場には氷水の入った水槽が用意され、インドアには空調設備もありましたので、馬が香港の暑さに苦しんでいるという光景は全く見られなかったと言っていいと思います。また、毎日のようにスコールが降っていたのですが、大雨でも馬場の砂が浮いたり水溜りができたりすることもありませんでしたし、逆に強い日差しに焼かれても乾きにくく、クッション性に富んだ非常にいい状態を維持していました。 競技場は、大型スクリーンや聖火、審判席のデコレーションなど、馬が物見しそうなものはいろいろありました。実際、競技が始まってからも演技中の動きに異変のある馬は多く見られました。また、観客席がパイプの足場で組んだ仮設スタンドだったため、観客の移動によってかなり大きな音がしました。その大きな音で馬が驚かないように、演技中の席の移動や入退場は、係員によってコントロールされていました。 施設に関しては、香港にいることを全くストレスに感じさせない完璧な会場だったと思います。 選手村はホテルですが、グルーム宿舎は競馬場横の体育館にある宿泊施設を利用していました。部屋は二名一室で、私と同室になったのはフィンランドチームのグルームでした。彼はフィンランドをなんと7月の初めに発って、その後アーヘンの競技会を経てそのまま香港まで、約2ヶ月半!!も旅をしているという話でした。そしてパラリンピックが終って戻る頃には、フィンランドはもう氷点下の世界になっているのだそうです。多くの選手が、大変な時間と多くの人のサポート、そして当然多額の費用を要してこのパラリンピックに臨んでいるのだということを、グルーム同士の会話からも感じられました。
▼競技
他の競技と同様、馬術競技においても、「不自由」と「出来ない」は違うということが強くアピールされています。そのため、障害者であっても馬に対して特殊な理解を要求するのではなく、その障害を馬に感じさせないような乗り方を工夫したりトレーニングしたりしているということが大きな発見でした。馬のタイプを選択することは必要ですが、馬を特殊調教するのではなく、健常者と同様、馬に対しては馬術的な要求をするべきだという立場が明確になりました。 世界のトップクラスの選手は、障害があることが騎乗からは分りにくいというのが全体を通しての感想です。それはつまり、馬にもその事を感じさせないということであり、当然、馬のパフォーマンスは健常者のそれに近いレベルまで高めることが可能だということです。 そのために必要なことは、①障害があっても馬に対して正しい扶助操作を行うための工夫と、②正しい扶助操作によって生み出される馬との緊密なコミュニケーションの構築、そしてそこから得られる③馬術感覚を磨く日々のトレーニング、ということに尽きると思います。 馬が正しく運動しないことは正しい馬術感覚を養う上で障害となりますので、選手が比較的容易に馬への正しい扶助操作を行えるような工夫(補助器具の開発)が今後も継続的に必要であると感じました。
▼ボランティアスタッフ
素晴らしい運営を力強く支えていたのはボランティアスタッフの存在だったと感じています。空港に着いてから香港での滞在期間中、そして帰国まで、生活のすべての面において、ボランティアの存在がなかったことはありませんでした。それは選手や関係者だけでなく、応援に訪れた観客にも言えることでした。快適な場所ばかりでもなく、楽しいことばかりでもなく、縁の下の力持ちのような役割も多かったと思いますが、皆さん本当に一生懸命でした。中国の持つマンパワーに圧倒されつつ、一人ひとりのボランティアの方が本当に親切で、熱心であることに深く感動しました。
▼日本人学校訪問
競技を終えた翌日、応援して下さった日本人学校へお礼の意味も込めて講演に伺いました。その講演の中に、渋谷選手のこんな言葉がありました。「僕は小さい頃から、障害があることで人に負けてはいけない、自分が強くならなくてはいけない、そう思ってずっと生きてきました。でも、このパラリンピックに出させてもらえることになってから、少し考え方が変りました。自分の周りには支えてくれる人がこんなにたくさんいる、この人たちのおかげでこうして生きていられるんだということに初めて気付かされました。ひとりの力なんか本当にちっぽけだし、自分の力だけでやってたらパラリンピックに出ることなんて絶対にできなかったと思います。いろんな人の力で自分は生かされていると思うと、今まで負けちゃいけないって敵に回していた世の中にも、今では感謝の気持ちしか沸いてきません。」 浜松で障害者乗馬を始めて今年で10年になりますが、渋谷選手のこの言葉を聞いて、これまでの活動が報われた気がしました。ああ、渋谷さんも障害を乗り越えられたんだなぁ、渋谷さん良かったねという気持ちで、その時は思わず子供たちの前で涙を見せてしまいました。 香港に限らず、海外で生活する日本の方々は、日本人以上に日本のことを誇りに思っているということをよく感じます。日本人であるという意識を持って異国の地で生活なさっている皆さんは、ある意味では、日の丸を背負って生きているわけです。渋谷選手だけでなく、あの子たちも立派な日本代表なのだということを感じ、小学生の皆さんの胸にも日の丸を見た思いがして、また少し泣けてきました。
▼最後に
パラリンピックを通して常に感じ続けたことは、一人の選手のために、なんと多くの人達が、なんと多くの時間とお金をかけて、なんと一生懸命にやっているか、ということでした。このエネルギーの集結こそが、オリンピック・パラリンピックの感動を生むのだということを、今回自分の肌で実感できたことは、私にとって特別な体験でした。このような貴重な経験をさせていただいたことに今は心から感謝しています。 渋谷選手をサポートして下さったすべての皆様、ありがとうございました。
文責 渡部 竜馬    

北京パラリンピック写真館(Team JAPAN)
北京パラリンピック写真館(馬術競技)

(写真提供 パラフォト 山口ミカ)